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モノの奴隷

いわゆる「モノ」が好きだ。腕時計とか、財布とか、スニーカーとかそういう類の。

 

モノ好きはとにかく情報収集に時間をかける。もしかしたらこの時間が一番楽しいのかもしれない。欲しいモノひとつを選ぶのに半年とか一年平気で悩む。今僕が使っている腕時計なんて、欲しいと思ってから買うまでに3年近くかかった。腕時計は競合する種類が多いから、気を抜くともっとクールなモデルを見逃してしまうことになるのだ。それでいて悩んでいる間使っていた腕時計は小学生の頃親に買ってもらったものだから笑ってしまう。

 

その代わりに、一度悩みぬいて買ったものはいつまでも使う。大切に扱うから滅多に壊れることはないし、もし壊れても修理して使う。上で悩んでる時間が一番楽しい…と書いたが、傷ついた腕時計や汚れたスニーカーを眺めながら「くたびれてきたな…」なんて考える時間もめちゃくちゃ楽しいのだ。

 

色々な買い物をしてきたが、最近分かってきたことが二つある。

一つ目が、ロングセラーは絶対に外れないということだ。腕時計で言ったらカシオのGショックとか、スニーカーならAIR MAXとか。昔はベタだから…という理由で敬遠したりもしていたが、やはり売れ続けるにはそれなりの理由があるのだ。

少し意味合いが違ってくるが、文学の評価は筆者の死後50年で初めて正当なものになるから、筆者が生きている本を読まないという人を知っている。50年後にも読まれ続ける小説こそが真の名作だという。

少し変な例えだったが僕の考えは大体一緒で、僕はロングセラーのことを「時代が僕のために淘汰してくれた」と考えている。100年前のモノ好きが僕のために良いモノを残してくれたと思うと、なんだかぜいたくな気分になれませんか。

 

二つ目が、モノの奴隷になってはいけないということだ。道具は人間のためにあるのであって、モノのために自分の生活を変える必要は決してない。

例えば、デニムをきれいに色落ちさせたいがために夏場も毎日デニムを履いている人。デニムの奴隷だ。僕の父も自動巻きの時計を休日に振ったりしている。家にいる日は腕時計をしないから、自動巻きの時計は止まってしまうという訳だ。

上のような極端な例でなくとも、デザイン重視で機能性が全く伴っていないものって最近多いじゃないですか。僕が口を出すことではないだろうが、少なくとも僕はあれが許せないのだ。そもそも、機能が素晴らしいものは自然とデザインも美しくなるのではないかとすら思う。機能美というやつだ。

 

こんなうんちくを垂れながら、好きな物に囲まれて暮らす生活はなかなか悪くないと思う。

 

自分の物にひとつひとつこだわりがあるが、僕はわりかしプレゼントにも自信がある。滅多にあげないけどね。でも渡すからには自分のものと同じくらい悩んで、しっかり選ぶ。プレゼント選びのポイントは、あったら嬉しいけど自分で買うほどではない物を選ぶことだ。

 

今年も彼女への誕生日プレゼントを悩んでいるところだ。僕があげた物を彼女が褒められているところに出くわしたことがあって、それはそれは嬉しかった覚えがある。

 

2014/5/18