立って、吹くこと

 僕は何か文章を書くことと同じくらい、歩くことを好む。歩いている間は思考が最もシャープになる気がする。最寄駅のひとつ前で降りて、50分の道のりを歩いて帰るという事を週に何回かしているくらいだ(ひと駅にしては遠いでしょう。川を越えるんです)。

 

 今日は一日何も予定がなかったので、前から行きたかったとある店へ行ってみることにした。その店は最寄駅から少し離れていて、30分くらい歩くようだったので、よし、と思った。店へ向かって歩いている途中でふと断片的な記憶が蘇ったので、帰宅した今それを書いてみようとしている。文章にしたらおそらく、本当にちょっとした心の揺らぎにすぎないのだろうけど。

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 今年の春、久しぶりにBlue Noteへジャズを聴きに行った。お目当てはBenny Golsonという86歳のテナーサックス奏者で、いわゆるジャズのスーパースター、巨人の一人である。彼はプレイヤーとしてよりも作曲者としての評価が高い。彼の作る曲は「ゴルソン・ハーモニー」と呼ばれ、その多くが人々から好んで聴かれている。

 

  彼の作った曲の中に、"I Remember Clifford" というものがある。これはトランペットプレイヤーであるClifford Brownが交通事故で夭折したことにショックを受けた彼が書いた、非常に美しい曲だ。その日のライブでも当然、その曲は演奏された。

 

 彼はその曲を演奏する前、とても長い時間をかけてClifford Brownがどのように死んだか、その日彼が何をしていて、どれだけ大きいショックを受けたかについて語った。その話はとても洗練されていて、ドラマティックに語られた、そしてそれは僕も含めた観客の心を揺さぶった。多くの人が泣いていた。彼自身、何度か声を詰まらせていた。

 僕は涙をこらえながら、ふと、彼は何度この話を繰り返したのだろう、と思った。この美しい曲が書かれてから60年、その経験を語り続けるというのはどのような気持ちなのだろう?今日歩きながら、そんな事を考えた刹那を思い出したのだった。

 

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 彼はそのライブにおいて、86歳のジャズ・ジャイアントらしく、多くの事を語った。最後のMCで彼はこんなことを言っていた。

 

「Hank*1と話していたんだが、私たちは死ぬまでホライズンに向かって突き進まなければならない。私は86歳になった。長い人生の中で色々なことをやったよ、給仕係もやったし、トラックの運転手もやった。でも、こうやってステージの上でサックスを吹く方がいくらかマシみたいだ。」

 

 そうして彼は新曲(!) ”Horizon Ahead" を演奏した。彼は1時間のステージの間、しっかりと二本の足で立って、サックスを吹いていた。こうして20そこらの若者に勇気を与えることができるなら、長生きすることも悪くないな、と思った。

 

2016/10/11

*1:Hank Jonesのこと。2010年に91歳で亡くなる直前までステージでピアノを弾き続けた。

嗅覚を失うこと

(前記事は多方面に誤解を生みそうだったので削除しました。読みたい方は僕のパソコンのデスクトップにありますのでどうぞ)

 

 夏が終わった。

「真夏のピークが去った」と間抜けな顔で歌っている間に、夏そのものが終わってしまったようだ。あまりに早い。このペースだと、一曲歌い終わる間にまた真夏のピークが来るような気すらする。

 

 

 春に生まれた僕はこれで22回目の夏を過ごしたことになるのだが、傍から見ると今年の夏は22回の中で最も穏やかな夏であったように見える。しかし僕にとって今年の夏は一生忘れられない夏になりそうだ。この件については少なくない人に迷惑をかけた。そのことについて文章を書くのは憚られるのだが、自分のために書き残しておきたいと思い、熱い紅茶を飲みながらパソコンを開いている。

 

 事の発端は今はもうハッキリと思い出すことができないのだが(僕は日記を書く習慣がない)、それは4月の終わり頃だったと記憶している。早朝に目覚めるようになったのだ。どうしても朝の5時に目が覚めてしまう。それは遠足の日の朝、あるいは何かの試験がある朝に早く目覚めるような感覚に似ていた。

 そのうち1~2時間おきに目が覚めるようになった。その後再び寝られるかどうかはその日次第で、体力はどんどん落ちていった。微熱が収まらなくなった。

 

 置かれている状況を鑑みるに、原因は明らかだった。就職活動として資格試験(に近いもの)を受ける予定だった私は、それが近づくにつれ極度の緊張のあまり軽い不眠になったのだろうと考えた。いま振り返っても、その時にはそれが事実だったのだろうと考えることができる。眠れないのは問題なので、近所の医者に理由を説明して薬をもらい、再び眠れるようになった。

 

 試験の日程をこなすにつれ、自分の中で何かがおかしいと感じるようになった。なんだか胸のあたりがモヤモヤする。ふとした瞬間に不安感に襲われるようになった。しかし体調が悪くても試験は最後までこなさなければならない。

 全日程が終わり、合格発表まで一か月ほど時間があった。手ごたえがなかった僕は落ちていた場合どのように動くかを考えなければならなかった。毎晩神経がすり減っていく音が聞こえていた。不安感、恐怖感は日を増すごとに強くなった。薬を飲んでも眠れない日が増えた。あと2週間の辛抱だ、あと1週間の…。

 

 

 結果は合格、めでたく僕の進路は希望通りに決定した。スマホで結果を確認した。親から電話がかかってきた。お世話になった方々に連絡を入れ、一人一人に感謝の言葉を述べた。あれ、やっぱり何かがおかしいな。その時の僕には喜びの感情が一切浮かんでこなかった。このために1年以上時間を割いてきたというのに…。

 緩やかに下降線をたどっていた僕の精神状態は、この日を境にしてみるみるうちに悪くなっていった。映画、読書、音楽、その全てを楽しむことができなかった。それらに触れている時も何か違う事を考えていて、心地よいサックスの音、歪んだギターの音は右耳から左耳へと抜けていった。好きな作家の文章は一文字ずつがスタンドアローンな記号だった。映画に至ってはディスクをデッキに入れることすら億劫だった。

 

 すぐに強烈な死のイメージが頭から離れなくなった。どうやら死というよりは消滅を望んでいるようだった。自分の意識を終わらせることだけでなく、人々の記憶からも消え去りたい。生のみすぼらしさに涙が流れることもあった。自然な流れとして見た目に無頓着になった。これについては夏が僕に味方していた。Tシャツに短パンという必要最低限の服装は、夏の街には上手く馴染むことができていた。そんな(ある意味いつも通りの)恰好で僕は何時間も街を歩き、ずっと何かについて考えていた。

 

 色々な文献を読む限り、このような精神状態の人は往々にして朝が最悪の状態であり、夜に向かうにつれて状態が良くなってくるそうだ。僕もまさにそのような状況で、朝起きてから数時間はソファに横になったまま動けない日が続いた。夜気分がよくなって取り付けた約束は、朝が来るとドタキャンしてしまった(この点で多くの人に迷惑をかけた)。夜の自分が普通に振舞っていることもあり、家族は進路が決まったのだから放っておけば回復するだろうと考えているようだった。この状況がもはや就職活動と切り離されていると考えていた僕は、どうやらこの問題は自分だけでなんとか解決する必要がありそうだと考えるようになった。

 

 

 

 ところで、死のイメージに取り憑かれることは、強度は別として、この時が初めての経験ではない。僕の22年の人生の中で最も多感な時期であった小学5年生の時にも似たような経験をしていたことを今朝駅のプラットホームで思い出した(そのことがこの記事を書くきっかけとなっている)。

 その日の僕は戦争の体験記を読んでいた。ショッキングな内容だったが、怖いもの見たさも助力して一日で読んでしまった。「この人たちはなぜ苦しいことしかないのに死んでしまわなかったのだろう?」と不思議に思った。

 あれ?おかしいな。僕の人生はこれと何が違うのだっけ?僕は近い将来いい仕事に就くためにいい学校に入ろうと苦しい思いをするだろう。そして将来のために苦しい思いをしてお金を稼ぐのだろう(みんなそう言っている)。そしてきっと子どもを産んで、苦労して育てて、僕は死ぬ。そしてその子供は…あれ????

(神は死んでしまったのだ)

 

 その時の僕もしばらく夜眠れない日が続いた。そしてある日、ついになにかが壊れてしまった。家族と行ったバーミヤンでラーメンを食べていたその時、「食べる」というただ生を繋ぐための行為に夢中になっている自分が急に情けなくなって、涙が止まらなくなった。(余談だが、小学生の頃の僕は丸々と太っていた。)

 その時の僕はどのように立ち直ったのか、はっきりと覚えていない。心配した母親が買ってきた絵本(漫画だったか?)を何度も繰り返し読んでいたと思う。とにかく、この衝撃的な体験以来、僕は生に対する違和感をぼんやりと持ち続けている。中学に入学してからは新たな環境に慣れるのに夢中でほとんど考えることもなかったが、高校に入学するとその違和感は少し大きくなったような気がする。

 

 

 22歳の夏にいる僕は、この精神状態から何とかして自分を救わなければならなかった。自分の中で何が問題となっているのかについてノートとペンを使ってじっくりと考えた。次第に身体的なコンプレックスや親に対して感じていた違和感、社会に対する不安など、本当に様々な問題が出てきた。これらを一つずつ解消していくことが必要だと考え、その作業に取り掛かった。それについて詳しく書く気はない。しかしそれはとてもストレスのかかる作業で、そのストレスからか僕は嗅覚がほとんどなくなってしまった。この頃には数日に一度動ける朝もあった。

 ひとつ、またひとつと自分を救う作業を行っている間に、真夏のピークが去り、そして夏自体が去っていった。この記事を書いている時点で、僕は殆ど今までの僕に戻ったのではないかと感じている。睡眠も薬に頼らずにとれるようになってきた。この睡眠を取り戻す作業もなかなか辛いものであったのだけど。

 

 

 こんな感じで僕の学生最後の夏は終わった。この夏を通じて何かが変わったか?ノーだ。変わったことはもう使わないだろう机の上の睡眠薬の山と、使い物にならなくなった鼻くらいのものだ。

 精神的に強くなったのではないか?ノーだ。このひと夏の話は、精神の弱い僕がたやすく潰れてゆっくりと元の形に戻っただけの話に過ぎない。

 

 

  今回はたまたま早い段階で引き返すことができたのだ、という思いもないことはない。強烈な死のイメージは僕から去って行ったが、生に対する違和感はいつだって僕の中に残っている。またある時そいつがやってきて、僕がポンと弾けてしまうような、そんな予感もする。

 

 でもまあとにかく、今回も僕は立ち直ることができたようだ。夏は終わった。隣の家の庭には金木犀が咲いている。使い物にならなくなった鼻のせいでその香りが分からないことを残念に思っている、その事実に救われている。

 

 

2016/10/01

 

追記:本当はこの夏に考えたいろいろな事を記事にして共有できたら良かったと思う。しかし僕には自分の考えを上手くまとめる能力がないので、それをすることができない。

郊外について

高2の頃に気胸になり、4か月ほどしぼんだ肺と暮らしていたことがある(医者に行くのが面倒で)。

修学旅行でもしぼんだままだった。神戸の坂がすごく辛かったことを覚えている。結局肺は自力で元に戻らず、最後に手術をした。

 

今月の頭にまた気胸になった。今度は反対側。

気圧の関係で秋口から冬にかけて発症し易いらしい。入院したが手術はせずに済んだ。

 

発症した時一人で商店街を歩いていたのだが、絶望感が半分、懐かしい気持ち半分だった。

高校2年生の秋といえば当時の彼女ができて1年弱。幸せの絶頂だったのである。

僕の青春は大半が胸の痛みと共にあったのだ。

 

 

 

togetter.com

 

今日(僕の周りの)インターネットはこんな話題で盛り上がっていた。

地方都市と東京の文化資本格差。言いたいことなら死ぬほどある。

 

「行こうと思えばどこへでも行けるだろう」というコメントがあったが、それは全く本質を捉えていない。機会格差の問題は「常に手の届く範囲」にあるかどうかだ。そして、その腕の長さが凄く短い人々がいる。子供たちだ。

 

「小学校時代よく一人でバウスシアターに行っていた」という話を聞いて驚いたことがある。小学生だった当時映画を一人で見に行くという発想は逆立ちしても出てこなかった。映画は親に連れて行ってもらうものだった。

まざまざと蓄積された資本の差を見せつけられた瞬間だ。僕が脅迫観念的に映画を見、本を読むのはその時の経験に根差していることは間違いないだろう。未だに積み上げても積み上げても地すべりしていく感覚が拭いきれない。

 

 

 僕の住む町には図書館がない。数年前まではそれなりの本屋があったが、今はもう医療施設になってしまった。最寄りの本屋まで電車で二駅、図書館まで大人の足で歩いて30分だ。

 彼らが本を読みたいと思ったとき、そこに本はない。彼らの行動範囲には『家』しかないのだ。そんな環境で育ってきた彼らが将来様々な人に出会ったとき、何を思うか。否、何かを思えるだろうか。

 

 

親がしっかり意識をしていればこのような悲劇は防げるだろうか?

…半分当たりで、半分間違っている。

郊外まで足をのばし、新興住宅街を歩いたことがあるだろうか。もしそんな機会があったら、歩き始めて10分もすれば気づくことがある。「どの家の前にも高級車が止まっている」のだ。レクサス、ボルボメルセデス

 

 

この事実が何を示しているか?

彼らの親は金の使い道を知らないということだ。

郊外暮らしで浮いた金は高級車と旅行に消えていく。

 

 

ゼミで子供の貧困について研究している人たちがいる。貧乏な家庭の子供は塾に通うことができず、学力格差の再生産が続いているそうだ。ではそのような家庭に補助金を支給すれば格差は埋まっていくだろうか?

否である。適切に金を投資することができないそうだ。

そもそも本当に困窮している人々は補助制度までたどり着けないという。

 

 

話を戻そう。「文化」という概念は彼らの意識の外にあるのだ。

意識されない物は存在しないと同義である。

つまり、「そんな環境」で育った彼らは「そんな環境」を嘆くこともできない。

 

 

話の始まりが「文化資本」だったから図書館の話ばかりしているが、これは一般化できることは想像に難くないだろう。

僕が付き合っていた彼女は小さいころからずっと大きな公園のそばに住んでいた。街角の公園で遊んだことしかなかった僕は、彼女と出会って初めて公園に足を運ぶ楽しみを覚えた。それまで大きな公園など「意識の外」にあったのである。

 

このように、誰かと出会って後天的に資本を蓄積していくこともあるだろう。

しかしそれには多少の運が必要となる。その点に関して僕はかなりラッキーだったと思う。

 

 

願わくば、「彼」が箱の外に出ず、親を呪うことがないように。箱の外に出た「彼」が行きつく先はウージェーヌか、はたまたヴォートランか。そんなことを願う僕は何者だ。「彼」とは何者だ。

 

 

最近はよくこんな話題を食卓で家族に振ってみる。

すると両親は情けない顔をするのだ、「もう大学生なんだから分かってくれるだろう?」とでも言いたそうにして。

僕も20年後、子供にこんな顔をするのだろう。

 

 

12/30

無題

 前回の記事が2月だそうだ。半年以上何も書いてなかったかと思うと呆然としてしまう、と思いきや僕は日頃から文章を紙に書いては丸めて捨てるという生産性のないことをやっているので、意外と実感はなかったりする。インターネットかゴミ箱か、という話なのである。前回もそんなことを書いた気がするが、思っていることを文章にするのは非常に自分にとってとてもいい影響を与えてくれる。失恋した相手に送りがちなポエムにもしっかりと意味はあるのだ。送られたあの子の気持ちはともかくとして。

 とはいえ、せっかく作ったブログを放置するのも良くないので、無理やり文章を書いてやろうという魂胆である。しかし特に最近考えていることもないし憤っていることもない(あるとTwitterに書き込んでしまうから)ので、近況報告になるんじゃないかな*1

 

 夏休みに入ってからというもの、日中勉強しては夜にのそのそ家を出るという生活が続いているのでお腹がぷにぷにとしてきた。女の子のぷにぷには良いものだが、男のぷにぷにはどうしようもない。今日も友人が来月からイギリス留学へ旅立つということで、二人でお酒を飲んできた。「君よ杯受けとくれ、どうぞなみなみつがせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生」である。

 一つの事実についていろいろな人から話を聞く、というシチュエーションはしばしば発生する。例えば失恋の話。つまりまあここ半年の僕の話であるが、どうしても事実をそのまま伝えることができなくて、人類の限界というかそんなものを感じる(他人から聞く自分の話も然り)。どうしてもバイアスがかかってしまう。そもそも事実ってなんだ。俺が白だと思っている色は他の人にとっては俺の思う赤かもしれないし、黒かもしれないのだ。そんなことを考える酒の席だった*2。僕たちは誰に、どうして事実の解明を命じられているのだ。まったく。

 

 触れると事実を瞬時にそのまま共有できる何かがあればいい。それはきっと綺麗な立方体をしている。それが開発されてからというもの、恋人たちのすれ違いはなくなったし、隣国の人々を憎しみ合うようなこともなくなった。少しづつ世界は幸せになりつつあった。しかしある国が『真理省』を設立し、国民に『真理』を与えるようになるのだ…。

 

 とにかく、大事なことは自分にとっての真実が何であるかだ。苦心して自分だけの美しいストーリーを書いてしまおう。誰も真実のストーリーなど求めてはいない。都合のいい真実で自分を飼い慣らしてしまえ…。

 

2015/08/16

*1:ならなかった。

*2:酒の席とはあまり関係がないことを一応書いておく。自分にまつわる新鮮な話をたくさん聞けてとても楽しかった(笑) 

ハロー・グッドバイ

 昨日出た熱は一晩寝たらすっかり下がってしまった。まだ体調は万全ではないが、たまには荒療治も必要だ!と思い、スタジャンを着て強引に外へ出た。冬の夜は曇った日ほど暖かい。同級生がバイトしているコンビニでホットコーヒーを買い、近くの神社のベンチに座ってそれを飲んだ。イヤホンから聞こえるのはセロニアス・モンクの(I love you, I love you, I love you) Sweetheart of All My Dreamsだ。最近買ったCDに収録されているこの曲は武骨な美しさを持っている。それはいつか見た映画の、エイリアンになってしまった主人公が恋人に送った、鉄くずでできた薔薇の花を連想させる。

 

 そもそもなぜ風邪をひいてしまったのかというと、気温0度の屋外で裸になってぼうっとしていたからに他ならない。言い換えれば、箱根の温泉に行ってきたからだ。今思えば露天風呂があるとはいえ、冬の寒空の下で長時間ぼうっとするのはあまり褒められることではなかった。

 10代後半から徐々に温泉狂になりつつあるが、箱根の温泉はとてもお気に入りだ。無色透明で、なんだか質実剛健という感じがする。例えるならばメルセデス・ベンツ。と言いたいところだが、一泊5000円から泊まれるような間口の広さも持っているので、フォルクスワーゲンというところか。

 

 閑話休題。突然ではあるが、先日、高校の頃からお付き合いしていた彼女に振られてしまった。年末だったか年始だったか覚えていない(手帳を開けば済む話だけど)。唐突に、と言いたいところだけどひと月くらいはどこか余所余所しくて、心の片隅で覚悟を決めていた。奇しくも一昨日が4年目となる節目の日だった。とはいえ、来週もデートの予定があり来月には旅行の予定もあり、なんだかトリッキーな状況になっている。どこかで状況を楽観視している自分もいて、なんだかなあ、という気持ちになる。

 

 先日読んでいた中島らものエッセイで、彼はこんなことを言っていた。

来るべきその終楽章(カデンツァ)は、ふたつの和音のうちどちらかひとつの形態を必ずひとつ選ぶ。つまり、「生き別れ」か「死に別れ」である。このことは、時代が変わり、人が変わるたびにさまざまな表現で言いあらわされるけど、本質はすべて同じことである。「生者必滅、会者定離」「会うは別れの始めなり」「君よ杯受けとくれ、どうぞなみなみつがせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生」なのだ。

 これを読んでいて思ったのは、人と恋に落ちるという事は互いに「生き別れ」という選択肢のない世界を二人でせっせと作り上げる事ではないだろうか、という事だ。もちろんそれはとても大きな概念で、一言で表現できようはずもない。あくまで一つの側面、群盲象を評す、である。

 

 そう考えると「死ぬまで一緒」などとSNSのプロフィール欄で嘯くヤンキーの中高生はもっとも純粋かつシンプルな形で恋を表現していることになる。かの夏目漱石といい勝負をしているではないか。

 もしかしたら、何度も別れたりよりを戻したりを繰り返しているカップルもこれで説明がつくかもしれない。彼らは「生き別れ」という概念を共同幻想に持ち込んでしまったのだ。一度でも存在を共有してしまったら完全には消し去れない(限りなく薄めることはできるだろうけど)。

 

 

 言葉は偉大だ。人間が言葉を持っているのか、言葉が人間を人間たらしめているのかは分からない。しかし、言葉を綴ることで自分の中の澱を浄化できているのは確かだ。言葉がなければ、ある日突然感情が爆発して、電車で隣に座るお兄さんを殴ることになるだろう。それどころか、言葉がなければ電車は存在しないのだ。「本は人類のセーブポイント」とはよく言ったものである。言葉があるおかげで電車は走るし、僕はお兄さんの代わりにキーボードを殴っている。

 考えている事を言葉にした時点でそれは自分の手元を離れ、それらを読む人に委ねられる。言葉にした時点でその生きた思考はストップする。だから、文章を綴ることは自分の考えを供養することなんだろう。そういう意味では、誰かが書いた秘密の日記も本質的に誰かに読まれることを望んでいるのだろうし、ブログだってそうだ。この文章にしたって適当なノートに書き殴ってゴミ箱にポイ、で良かったとは思うのだけど、少しでも社会に開かれているだけ、しっかりと考えを供養できるのじゃないか、と思う次第である。

 

 手厳しいことに、この4年間で彼女が褒めてくれたところは主に二つぐらいのものだった。一つ目は横顔、二つ目は僕の書く文章だ。せっかく彼女が褒めてくれた文章をゴミ箱にポイするのもなんだかあれなので、もう少しまともな場所に置いておけることを嬉しく思う。いい時代だなあ。よりを戻せるといいのだけど。

 

2015/02/04


Thelonious Monk - I Love You (Sweetheart of All My ...

フュージョン

高校に入ってすぐ、ロックにハマった。

友人がカラオケで歌っていたthe pillowsがとてもかっこよかったのだ。

ツインギターから出てくるヘンテコなリフと、山中さわおの書く少しひねくれた歌詞は高校生の自分の心を掴むには十分すぎた。


the pillows / Funny Bunny - YouTube

 

とにかく色々なバンドを聞いた。

音楽の世界はとても広大で、泳ぐのは大変楽しかった。

でもだんだん、物足りなさを感じているのも分かった。耳が肥えてくると、尖ったバンドはほんの一握りで、画一化されたバンドがとても多いんだということに気づき始めた。

 

だから、新しい音楽を聞いてみようと思った。ロックと来たら、次はジャズだ。

インターネットでいろいろ調べて、図書館でハービー・ハンコックの『Maiden Voyage』を借りてきた。


Herbie Hancock - Maiden Voyage - YouTube

何が良いのか全く分からなかった。それどころか、彼らが何をやっているのかも分からなかった。高2の僕はジャンルの壁を跨ぐのに失敗した。

これが何度かあった挫折のうちの一つである。

 

 

高3になって、Whether Reportというバンドに出会った。

彼らの音楽はロックに少し似ていたけれど、もっとミステリアスな雰囲気があった。


Weather Report - Birdland - YouTube

こんなかっこいい音楽があるのかと感動した。バンドが一つの楽器のようだ。

さらに驚くことに、この電気的なバンドの音楽はジャズだとインターネットは言うのだ。こんなポップな音楽がMaiden Voyageと同じ音楽だと思うと不思議でたまらなかった。

 

 

 

フュージョン』という言葉がある。日本語に訳すと『融合』とか、そういう言葉になるだろう。タネ明かしをすると、先のWheter Reportはいわゆるフュージョンバンドと呼ばれる。ロックとジャズの融合だ。

 

基本的に音楽でフュージョンという時、指されるのはWhether Reportのようなロックやファンクとジャズの融合であることが多い。しかし、語源から言えばいくつかの異なるルーツを持った音楽は全てフュージョンと言えるのではないかと思っている。

 

 

先のMaiden Voyageはいわゆる「純ジャズ」*1で、「純ロック」な僕には受け付けないものだった。でも、フュージョンならいくらか聞きやすい。

そう、誰かがジャンルの壁を跨ごうとする時、フュージョンは往々にしてその手助けをしてくれるのだ。

 

例えば、誰もが知っているグレン・ミラーの『In the mood』だって言ってみればダンスミュージック×ジャズのフュージョンだ。


In The Mood - YouTube

聞きやすいでしょ。

 

他にもジャズ×クラブのJamiroquaiのみたいなアシッドジャズとか、ジャズ×クラシックのGershwinみたいなシンフォニックジャズなんてのもある。


Jamiroquai - Space Cowboy - YouTube

 

外では秋の虫が鳴き始めています。秋の夜長に音楽の冒険はいかがでしょうか。

フュージョンミュージックはきっといい手助けになるはずです。

 

2014/09/04

*1:ちなみに、先ほどから「純ジャズ」の代名詞として使っているMaiden Voyageの作者ハービー・ハンコックフュージョンジャズのパイオニアだったりします。多才な人なんですね。

無題

両親みたいに、素直な反応をしながらバラエティ番組を見てみたい。そんなことを思う自分は真顔でテレビを見ている訳じゃなくて、テレビに向かって愛想笑いをしている。

 

先日、日曜日の夜に渋谷で映画を見る機会があった。AIに恋をするおじさんの話で、途中からAIがモンスターボールの中にいるドクターマンハッタンに思えて仕方なくなってしまい集中できなかった。隣に座っていたカップルの、ファレル・ウィリアムスの帽子を被った男がひどく酔っぱらっているようで、いびきをかいて寝ていた。「良い映画だったね」と嘯く彼の言葉を聞く彼女の微妙な表情が素敵だった。

 

帰り道に109前のスクランブル交差点で信号待ちをしていたら、目の前で自転車がすごいスピードでタクシーに突っ込んだ。自転車に乗っていたのはいかにも渋谷にいそうな女の子で、「バカな女だなあ」とか「運ちゃんも災難だなあ」と思いながら眺めていた。と思ったらその瞬間、周りの人々が彼女に近づいて起こしたり、自転車を歩道に引き上げたりし始めた。

軽く衝撃を受けた。そんな発想は微塵も浮かんでこなかった。もっと衝撃だったのは、その周りの人々に合わせて自分が少し彼女に近づいたことだった。そのまま腕組みをして眺めていればよかったのだ。彼女を助けるつもりなんて微塵もなかったのに。

要するに、自分を持っていないのだ。

 

そんな、「世界とズレてしまう瞬間」を切り取るのが上手いのが穂村弘だ。歌人である彼は、そんな瞬間を切り取って巧みにエッセイに仕上げてしまう。我々が普段感覚として捉えている「ズレ」をピタリと言葉にして差し出してくる。又吉直樹(彼も非常に巧みなエッセイストだと思う)は世界からズレている人間を「悪魔の子」と表現したが、穂村弘は「世界音痴」と表現した。

『蚊がいる』を読んで、久しぶりにそんなエッセイを読んだと思った。高校2年生の頃、穂村弘のエッセイを夢中になって読んでいた。その頃はそんな自分がマイノリティだと思っていたが、彼が歌人やエッセイストとして名を馳せているところを見ると、そんなことないのだろう。誰だって多かれ少なかれ世界音痴なんだと思う。

 

2014/8/07